島村 抱月

 私はどうしたらよかろうか。私は一体どうして日々を送っているか。全くのその日暮し、その時勝負でやっているのだろうか。あながちそうでもないようである。事実、自分の日常生活を支配しているものは、やっぱり陳い陳い普通道徳にほかならない。自分の過去現在の行為を振りかえって見ると、一歩もその外に出てはいない。それでもって、決して普通道徳が最好最上のものだとは信じ得ない。ある部分は道理だとも思うが、ある部分は明らかに他人の死殻の中へ活きた人の血を盛ろうとする不法の所為だと思う。道理だと思う部分も、結局は半面の道理たるに過ぎないから、矛盾した他の半面も同じように真理だと思う。こういう次第で心内には一も確固不動の根柢が生じない。不平もある、反抗もある、冷笑もある、疑惑もある、絶望もある。それでなお思いきってこれを蹂躙する勇気はない。つまりぐずぐずとして一種の因襲力に引きずられて行く。これを考えると、自分らの実行生活が有している最後の筌蹄は、ただ一語、「諦め」ということに過ぎない。その諦めもほんの上っ面のもので、衷心に存する不平や疑惑を拭い去る力のあるものではない。しかたがないからという諦めである。

すべて讀者は皆てんでんの人格に從つて、その作を非常に美しい、綺麗なものに作りかへてしまひます。ただに作者ばかりでなく、讀者もまた詩人なのでありまして、彼等は作家の助手であり、時としては詩人みづからよりも一層詩的なのであります。(下略)」
 といつたのは、その「人間の描寫」といふことで、人生問題を暗示する意味を述べたものとみられる。けれどもそれと同時に、婦人問題を婦人問題として材料に用ふることも、初めからのイブセンの計畫であつたことは明かである。千八百七十九年すなはちこの劇の出來る年の七月、ローマからゴッス氏に宛てて送つた手紙は、
「小生は去る九月から家族とともにこの地にをります、そして大部分の時間は新に作りかけてゐる劇のことで塞いでゐます、もう間もなく出來上つて、十月には出版の運びになりませう。眞面目な劇で、近代の家庭状態、ことに結婚とからんだ諸問題を取り扱ふ、本當の家庭劇です。」

島田 清次郎

 大河平一郎が学校から遅く帰って来ると母のお光は留守でいなかった。二階の上り口の四畳の室の長火鉢の上にはいつも不在の時するように彼宛ての短い置手紙がしてあった。「今日は冬子ねえさんのところへ行きます。夕飯までには帰りますから、ひとりでごはんをたべて留守をしていて下さい。母」平一郎は彼の帰宅を待たないで独り行った母を少し不平に思ったが、何より腹が空いていた。彼は置かれてあるお膳の白い布片を除けて蓮根の煮〆に添えて飯をかきこまずにいられなかった。そうして四、五杯も詰めこんで腹が充ちて来ると、今日の学校の帰りでの出来事が想い起こされて来た。今日は土曜で学校は午前に退けるのだった。級長である彼は掃除番の監督を早くすまして、桜の並樹の下路を校門の方へ急いで来ると、門際で誰かが言いあっていた。近よってみると、二度も落第した、体の巨大な、柔道初段の長田が(彼は学校を自分一人の学校のように平常からあつかっていた)美少年の深井に、「稚子さん」になれ、と脅迫しているところだった。
「いいかい、深井、な」と長田は深井の肘をつかもうとした。
「何する!」深井は頬を美しい血色に染めながら振り払った。

 彼の部屋はある旧華族の有つ果樹園の中の一室きりの平家だつた。以前、この果樹園の持主が本気で果樹の栽培をやつてゐた時分は手軽な休み所として建てたものであつたらしいのを、今年の春以来、自分の住居として借りてゐるのである。都会の真中で新鮮な空気と広大な天地を求めるにはこれより他に道が無かつたのだ。やがて、北は夜具をたゝみ、障子を明けて戸外へ出た。巴丹杏や林檎や蜜柑の樹が雑草の生ひ茂つた荒れはてた庭園いつぱいに枝を交へて、どれも虫がついて早熟したらしい果実が鹿野子色、黄色、緑金色の色合を澄み渡つた秋空にはしらせてゐた。井戸端に来ていつものやうに素つ裸かになつて骨つ節の太い肉附のひきしまつた自分ながら頼もしい皮膚の表面へ肉体をいたはりながら頭からつゞけざまに冷水を浴びる。白い水に日光がきらきら光りほんのり血がのぼつてくる健やかな美しさ。十杯もあびてゐるうちに、身内から凛々たる精気が一種の戦慄となつて湧きのぼつてくる。彼はぶるぶる武者ぶるひをしてしばらく木の間がくれに向ふの丘のあたりに見える建築を眺めてゐたが、そのあたりが大学の在るところなのに気づくと、どう云ふものか刺戟され、「さあ。」といふ気になつて、自分の部屋にかへつた。